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音注解読法


 中国人の注を読んでいると、「音×」とか「×声」とか「××反」「××切」とかいう記述がしょっちゅう出てきます。これは字の発音を表記しているのです。以下ここではこれらの表記を総称して「音注」と呼ぶことにします。
 「おれは訓読派だから音注なんて関係ないや」と思ってはいけません。実は関係大ありです。漢字には破音字といって、複数の音を持つ字がけっこう多くあります。それらの音の読みわけはほとんどの場合意味によります。つまり破音字とは多義字にほかならないのであって、破音字の音を説明してあるということは、意味を説明しているということになるわけです。音注は読解の重要なヒントになっているのです。
 たとえば「爲」は、「~のために」という意味のときにはwèi、その他の意味(「する」とか「である」とか「作る」とか)のときにはwéiと発音されます。ですから「音はwèiだ」という注があれば、とりあえず他の可能性を無視して「ために」であると判断することができるわけです。
 しかし昔の人の注は当然のことながらローマ字なんか使ってくれていません。漢字のみ、しかも後述のように反切というパズルめいた方法で書いています。しかも音韻学の専門書を見ると陰陽だの清濁だの開合だの摂だの等だのという怪しげな専門用語が飛び交っていてちっともわかりません。
 音韻学に関してはゆくゆくは当サイトでもしっかり扱っていこうと思いますが、とりあえずここでは、古典の注に見られる音注解読法にしぼって、解説していきたいと思います。このコンテンツは『論語』を読むということなので、とりあえず例はできる限り『論語』のみにしぼって示します。

  1. 直音法で表す
     字の音を示すのに一番簡単な方法は「×字の音と同じ」という形で表すことです。この手の音注は「直音」と呼ばれ、「音×」という形で書かれます。
     たとえば『論語』1-1の「有朋自遠方來不亦樂乎」の集注に「樂音洛」とあるのがこれにあたります。「樂」には新華字典に載っているだけでyuèとlèという音があり、音洛(luò)というのですからこの場合は(ちょっと違いますが)「lèのほうで読め」というわけです。
     また直前の「子曰學而時習之不亦說乎」の集注に「說悅同」とあります。これは「說=悅だと思え」というわけですから「音が違っても意味が同じと思え」ということかもしれないわけですが、新華字典の「說」にはshuō、yuè、shuǐ3つの音が載っており、「悅」はyuèという音なので、これも「說をyuèと読め」という音注の一種ということになります。このように音と意味とが密接な関係を持つ字について「×同」とか「讀爲×」(讀んで×と爲せ)とあったら、それは「×字の意味で読め」だけでなく「×字の音で読め」ということでもあります。辞書で音を調べて、×字の音と同じに読める可能性がある場合は、音注でもあると理解します。
     このほか、漢代の注には「讀若×」(讀んで×の若し)という言い方もあります。「若」(~のようだ)というのがいかにもイイカゲンそうですが、これも直音法の一種であるとみなします。



  2. 声調を表す
     破音字には「声調だけが異なる複数の音を持つ」というケースが多くあります。こういうときは「×声」という形で声調だけ書いてすますこともあります。
     たとえば『論語』1-2の「有子曰其爲人也孝弟而好犯上者鮮矣不好犯上而好作亂者未之有也」の集注に「弟好皆去聲鮮上聲下同」とあるのがこれです。つまりここに出てくる「弟・好」は去声であり、「鮮」は上声。「下同」というのは、この1-2の部分のすべての「弟・好・鮮」をその声調で読めというわけです。ここに引用した部分だけで「好」は2回出てきますし、「」はこれに続く部分でもう1回出てきます。「鮮」はここだけですが、注の中には出てきます。これら全部の声調がそうだというわけです。
     ところで漢文の声調は「平声・上声・去声・入声」の4種類です。偶然に北京語の声調数と同じですが、きれいに一対一対応をしているわけではなく、次のような対応になっています。
    漢文北京語備考
    平声1声声母が清音の場合
    2声声母が濁音の場合
    上声3声声母が清音と鼻音の場合
    4声声母が濁音(鼻音除く)の場合
    去声  
    入声不定日本漢字音が「フ・ツ・チ・ク・キ」で終わるもの;
     非常におおざっぱにいえば、平声=1声か2声、上声=3声、去声=4声ということになります。実際に北京語の四声を昔は、「陰平・陽平・上・去」と呼んでいました。
     なお、平声に属する字は多いうえ、詩の押韻は原則として平声字で行うので、伝統的な作詩用字典では平声を「上平声・下平声」と二つにわけています。WEB支那漢の本文に載っている各文字の声調表記も同様です。しかし上平声と下平声は単に便宜的に二分されているだけで実際には同じです。特に現代北京音の1・2声の別名「陰平・陽平」と混同している人が結構多いので注意してください。
     さて、「好」は新華字典ではhǎoとhàoとがありますが、去声だということはhàoのほう、意味としては「好む」という動詞として解釈しろというわけです。同様に「鮮」はxiānかxiǎn。上声だということはxiǎnのほう、「少ない」という意味で解釈しろというわけです。
     しかし「弟」はちょっと問題です。新華字典には一見dìしか載ってないようでいて、説明をよく読むと、(3)に「〈古〉[悌] tì に同じ」とありますので、しかしdìもtìも4声ですからどっちかよくわかりません。こういうときはWEB支那漢を利用します。WEB支那漢で「弟」をひくと、dìが上声、tìが去声だとわかります。上声は濁音声母のときには4声になってしまうのでした。ともあれこうしてtìのほうで読み、意味も「悌」として解釈せよといっていたわけです。



  3. 反切法で表す
     反切法は、二字の組み合わせで音を表す方法です。
     中国語の音節は大きく、「先頭の子音+それ以外」という形になります。この先頭の子音のことを「声母」といい、それ以外の部分を「韻母」といいます。反切は、「AB反」のように記して、「Aの字の声母+Bの字の韻母」という形で音を表記するのです。なお、「反」という字が意味的に嫌われる傾向があり、後には「AB反」より「AB切」が一般的になります。Aを反切上字、Bを反切下字といいます。また「反切」自体も「切語」「反語」などということがあります。
     実例を見てみましょう。たとえば『論語』1-4「曾子曰吾日三省吾身…」の集注に「省悉井反」とあります。悉(xī)の声母はx、井(jǐng)の韻母はǐngなので、x+ǐngでxǐngという音を表しています。「省」は新華字典にはxǐngとshěngの音が載っていますが、そのうちのxǐngのほうで読めと言っているわけです。
     なんだかパズルのようで複雑ですが、これで理論的には、よほど変な場合でない限り、ほとんどすべての字の音を精密に表記することが可能になります。そこで後漢末ないし三国時代に開発されて以来、なんと20世紀、民国期にいたるまで一般的に使われてきた方法で、『支那漢』の母胎となった商務印書館の百科事典『辭源』(1915/31/47)もこの反切のみで音を表記しています。
     それにしてもなかなか複雑な表記法には違いないので、先人はこの反切の解読に苦労したようです。早い話、日本の五十音図や朝鮮のハングル表は、ハングル表の正式名称が「反切本文」ということからもわかるように、もともとこの中国語の反切を解読するための表でした。「Aの声母とBの韻母」というのは、ローマ字で書いてこそわかるものであって、たとえば「追(ツヰ)=都(ト)回(クワイ)切」などというのを日本語のカナのような音節文字で考えるのはなかなか大変です。そこで、「五十音図で(都)トはタ行にあるぞ、で、回はクワイだから、トのあるタ行とクのあるウ段とを交差させてツ」というふうに使ったのです。



  4. 漢文の音体系は?
     ところで、中国語には方言がいろいろあります。方言どうしは互いに意志の疎通ができないほど音が異なり、別言語とすら言いうるほどです。また、もちろん歴史的にも漢字の音はかなりの変化をしています。では古典の音注は、どういう時代のどういう地域の音に基づいているのでしょうか。
     六朝末から隋代になると詩の形式が整備され、作詩のためには韻をふんだり平仄をあわせたりと、漢字音の知識が必須だったので、反切法を用いた発音字典(韻書)がいろいろ作られるようになりました。なかでも後代の韻書に圧倒的な影響を及ぼしたのは、隋代(7世紀)に陸法言が編纂した『切韻』です。『切韻』自体は断片的にしか残っておりませんが、これを増補改訂した韻書がその後いろいろ作られ、そのうちの『広韻』(11世紀)は完全な形で今に残っています。
     これら『切韻』『広韻』の音体系は、『切韻』を編纂した陸法言の序(『広韻』に転載されています)によれば、当時すでに失われつつあった音の違いや、他の地域では失われていてもある地域の方言に残っているような音の違いをも反映したものだということで、現実の音よりもはるかに細かい区別をもった複雑な体系でした。あまりに複雑すぎて現実の作詩のためにはわずらわしく、『広韻』以後はこれらの区別がだんだん統合化されていきました。たとえば『広韻』で206種類に区別されていた韻目は最終的には106種類に統合されました。しかし簡単化されたとはいっても基本的には同じ音体系であるには違いありません。
     この音体系は隋代の音を基本にしているので、現代の音韻学では「中古音」と呼ばれています。ちなみに隋代以前の音、特に詩経時代の音や漢字の創設された古い時代の音は、この中古音とかなり異なります。この音のことは「上古音」と呼ばれます。
     が、伝統的にはこの中古音は「今音」と呼ばれてきました。清朝の学者たちは詩経時代や漢字の創設された古い時代の音を「古音」と呼び(現代の音韻学では「上古音」と呼びます)その解明に熱中してきましたが、そういう「古音」に対して彼らが「今音」と呼んだ音は、現実に今発音されている音ではなく、隋代に規範化された中古音のことなのです。隋代の音を「今」音と呼ぶのはなんともアナクロニズムですが、それにはちゃんと理由があります。
     たしかに中古音どおりの発音をしている地域はどこにもありません。しかし中古音は、諸地域の音の違いをできる限り生かして統合化した音体系なので、どの地域でも通用する便利な音体系になっているのです。
     たとえば現代の北京語では、「課・克・刻・客」はみなkèと発音されます。しかし広東語ではfɔ3・hɐk7・hɐk7・hak8となります。広東語のほうが区別が細かいわけですが、その一方で広東語では「課・貨」がどちらもfɔ3、北京語ではkè・huòというふうに、北京語のほうが区別が細かい部分だってあります。
     このような状況では、北京語の音による字典は広東の人には「課/克刻/客」の区別がつかず不便です。逆に広東語の音による字典は北京の人には「課/貨」の区別がつかず不便です。
     しかし、ここで人工的に、「北京語の区別と広東語の区別を両方生かす」字典を作ったらどうでしょうか。次のようになるでしょう。
    北京語広東語統合すると
    huòfɔ3(1)
    (2)
    hɐk7(3)
    hak8(4)
     これだと、北京の人にとっても広東の人にとっても必要以上に区別が細かくなってしまいますが、「字典では区別があるがオレたちは区別してない」ものは無視すればいいだけの話です。「自分たちは区別しているのに字典では区別されていない」ほうがはるかに深刻です。このように、「どこで誰かが区別しているものはともかく区別しておく」ようにしておけば、一応は万人向けの便利なものになるといえるのです。
     そして、実は中古音は、まさに上のように4グループに分けているのです。『広韻』と『WEB支那漢』の反切を列挙すると、(1)=呼臥切/虎臥切、(2)=苦臥切/庫臥切、(3)=苦得切/可黑切、(4)=苦格切/可赫切となっています。中古音で同音のものは(実は例外もありますが)たいていどの方言でも同音、中古音で区別のある音は、ひょっとしたら同音になってるかもしれませんが、どっかの方言では区別をしている、というふうになっています。
     このように中古音は、現代・現実に発音されている音ではありませんが、「現代の諸方言のもとになっている音」なのであり、その意味ではまさに「今」音なのです。ですから中古音は、上述のような206韻→106韻といったような簡略化を経ながらもその後もずっと作詩の規範として生き続け、20世紀になって編纂された『辭源』『辭海』などの百科事典も、民国時代のものはこの音体系に基づく反切で音が表記されています。WEB支那漢(=支那文を読むための漢字典)の反切も同様です。



  5. 中古音と北京音の差異
     中古音に比べて現代の諸方言は区別が簡略化されています。さしあたりわれわれは漢文を現代北京音で読んでいるので、中古音の特徴が北京音でどのように変化しているかを簡単にまとめておきましょう。
    1. 入声がない……中古音には「入声」という声調がありました。声調といえば普通は音の上がり下がりの形ですが、入声は「韻尾が短くつまる」形です。中古音では入声は-m、-n、-ngといった鼻音韻尾で終わる字音にのみ存在し、韻尾が短くつまった結果、-p、-t、-kと発音されます。日本漢字音では「フ・ツ・チ・ク・キ」で終わる字音がこれにあたります。-p、-t、-kとはいってもハッキリ破裂する音ではなく、そのような口の形をするだけなので、聞き慣れないとみんな「ッ」という音に聞こえることでしょう。現代諸方言では広東語にはこれがしっかり保存されていますが、上海語ではすべて-ʔに統合されています。北京語では韻尾が母音に変化してしまい、もとからの母音韻尾の字音と渾然一体となったばかりか、中古音との対応がイレギュラーな字が多くあります。
    2. -mで終わる音がない……中古音には-mで終わる字音が存在しましたが、北京語では-nに変化し、もともとからの-nと渾然一体となってしまいました。
    3. 濁音声母がない……現代の北京音のピンインでb-、d-、g-、j-、zh-、z-と書いている音は一見濁音(有声音)に見えますがそうではなく清音(無声音)です。現代の北京音でb-/p-、d-/t-、などという対立があるのは無気音と有気音の対立であり、どちらも清音にすぎません。ところが中古音の声母(頭子音)には清音の無気音と有気音の対立とは別に、濁音が存在したのです(その濁音が無気音だったか有気音だったかは諸説あります)。現代の北京音ではもともとの濁音は清音に変化してしまったかわり、声調にその痕跡をとどめている場合があります。たとえば中古音の平声は、上記声調を表すのところで説明したように、声母が清音だったものは1声に、声母が濁音だったものは2声に変化しました。このように中古音の清濁が声調に転化しているケースが多いので、北京語など清濁の区別が失われた方言でも清濁の区別を無視することはできません。



  6. 音注解読上の問題点
     さて、音注と中古音のしくみの概略がわかったとして、音注を現実の北京音に読みかえる場合にはけっこう迷うことがあります。というのは、「中古音のこのグループの字の音は北京音ではこうなる」という対応が厳密に守られていればいいのですが、実はけっこうイレギュラーなものもありますし、規則どおりであってもその規則の適用が難しかったりするからです。
     上記直音法で表すのところで出てきた「樂音洛」もそうでした。中古音では「樂」も「洛」も「盧各切(WEB支那漢は勒咢切)」であり、原則どおりならばこのグループの字はすべて北京音でluòになるはずなのに、「樂」だけは例外的にlèになってしまったのです。このようなイレギュラーな事態も多いので、直音法だからといっても気を抜けません。
     また「東(dōng)」はWEB支那漢の反切では「都翁切」です。都(dūまたはdōu)+翁(wēng)ですから duēng というところでしょうか。なんだか見慣れないピンインができてしまいました。実はピンインでは本来uengと綴るべきものをongと綴るので、これでめでたくdōngとなるのです。最初からピンインで中国語を勉強した人は気づかないかもしれませんが、実はピンインには音韻学的に問題のある部分があり、反切の解読をしようとすると問題が生じることがあるのです。ちなみに注音字母でやれば都(ㄉㄨまたはㄉㄡ)+翁(ㄨㄥ)ですんなりㄉㄨㄥ(dōng)が得られます。
     さらに「東」は『広韻』の反切では「德紅切」です。德(dé)+紅(hóng)でdóng。あれあれ、声調が異なってしまいました。これは「東」が清音声母で、「紅」が濁音声母であるために生じた現象です。上述のように中古音の平声は、清音声母の場合1声、濁音声母の場合2声になってしまいます。德(de)+紅(hong平)で「dong平」のようにすれば反切の規則どおりなのですが、北京音でやる場合には声母の清濁を加味して検討しなければなりません。しかしこれはあまりにわずらわしい作業です。
     さらに、新華字典には必ずしも古典に現れたすべての音注に対応する音が載っているとは限りません。現代ではすたれてしまった音や、臨時にヘンな読み方をしているようなものは載せていないことだってあります。そういうときにどうするかはけっこう問題です。
     このように、古典の音注をそのまま適用しても現代の北京音が得られない場合があります。そういうときにはどう解決するか、次項で例をあげて検討しましょう。



  7. 音注解読実践篇
     さて、ややクセのある音注にどう対処するか、実例をあげましょう。『論語』6-23とその集注の音注部分を掲げてみます。白文ではわずらわしいので句読点だけは打っておきます。
    本文……子曰:知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽。
    集注……知:去聲。樂:上二字並五敎反、下一字音洛。
     まず「知:去聲」ですからこの「知」は4声です。WEB支那漢にはzhìという音もちゃんと載っていますが、新華字典の見出しにはzhīしか載っていません。しかしよく本文を読むと「〈古〉又同“智(zhì)”」と書いてあります。大陸では長らく新華字典の音が唯一絶対の規範だったので、新華字典に載っている音だけで読むという立場の人がいます。しかしその場合は、見出しのところだけでなく、本文内のこういう記述にも注意しなければなりません。そんなわけでここはzhìと読み、「智」と同じであると解釈していきます。
     さて、またまた「樂」です。3つ出てくる「樂」のうち、上2つは「五敎反」で、最後のは「音洛」ということです。
     まずは「音洛」から片付けましょう。上述のように、音注に従えば「樂」はluòですが現実には「樂」はlèです。こういうとき、「樂 lè」という現実の北京音を無視してでも音注を優先させてluòと読んでしまうという流儀がかつてはありました。現にWEB支那漢の北京音はluòと書いてあります(ウェード式なのでlo4ですが)。古めかしい字典に載っている北京音が時として新華字典の音と異なることがありますが、それらはたいていこういうケースです。
     しかし新華字典の音こそが唯一絶対だという立場からすれば、luòとは読めません。そこで新華字典に載っている「樂」の音yuè/lèのうちのどちらか近いほうで読んでしまうということになります。luòに近いものは見るからにlèですのでスンナリ解決です。
     しかし「五敎反」のほうはこうはいきません。いきなり北京音で五(wǔ)+敎(jiào)などとやってもwiàoなどという奇妙なピンインができるだけなので、WEB支那漢の助けを借りましょう。いきなりWEB支那漢で「樂」をひいてもいいのですが、判断に迷うケースも多いと思うので、少々面倒ですが急がば回れで次のようにします。
     それは「反切下字が所属する韻で判断する」というものです。「樂」そのものを引くのでなく「五敎反」の「敎」の字をWEB支那漢などで引いて、何の韻に属するかを調べます。すると「效韻(去声)」と「肴韻(下平声)」と書いてあります。次に「樂」を引いて、同じ韻に属する音を調べるのです。WEB支那漢では(1)覚韻(入声)、(2)薬韻(入声)、(3)效韻(去声)とあります。すると(3)が同じ韻です。WEB支那漢に載っているウェード式ローマ字をピンインに直すと、(1)はyuè、(2)はluò、(3)はyàoなので、yàoということになります。
     しかし困ったことに、新華字典にはyuèとlèはありますがyàoに相当しそうなものがありません。新華字典の音を無視してかまわないのならyàoと読めばいいのですが、どうしても新華字典の音で読みたいなら、こうするしかありません。
     それは、「意味の対応を考慮する」というものです。WEB支那漢によれば(3)の意味は「之を好むなり」とあります。集注でも上記の直後に「樂、喜好也」とあります。新華字典ではyuèが「(1)音乐、(2)姓」、lèが「(1)快乐、欢喜、快活、(2)乐于、(3)使人快乐的事情、(4)笑、(5)姓」とあり、yàoの意味用法がlèの(2)として取り込まれています。そこでこの場合はlèと読むことになります。実際、大陸で出ている『論語』朗読CDではlèで読んでいます。
     このように、古典の音注はなかなかそのまま生かすことができません。そこで、北京音も中古音(とりあえず詩韻だけでもかまいません)の両方が載っている辞書、具体的にはWEB支那漢や大漢和などを頼りに読み替えをし、新華字典の音のみで読むことにこだわるならさらに新華字典をひいて読み替えていくという作業が必要です。