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文法-文末助字


 文末助字は文字通り文末に用いられるので、文末助字が用いられているからにはたぶんここが文末だろう、という推測がたてやすく、句読点のない文章を区切るのに非常に役立ちます。しかし、文末助字のほとんどすべては、文末のみならず文中で用いる用法もあるので、登場したからといって機械的に直後に「。」をつけることはできず、そうそう楽はさせてくれません。ですからそういう文中用法もあわせてしっかり覚えておく必要があります。

  1. 也 yě
    1.惻隱之心仁之端也 cèyǐn zhī xīn rén zhī duān yě
     惻隱の心は仁の端なり
     [訳]他人の不幸を憐れむ心は仁のはじまりである
    2.典冠者見君之寒也 diǎnguān zhě jiàn jūn zhī hán yě
     典冠者は君の寒きを見るなり
     [訳]冠の係官は君主が寒がっているのを見たのである
    3.安求其能千里也 ān qiú qí néng qiānlǐ yě
     安[いづ]くんぞ其の能の千里なるを求めんや
     [訳]どうしてその馬の一日に千里を走る能力を求められようか
    4.勿傷吾仁也 wù shāng wú rén yě
     吾が仁を傷つくる勿[な]かれ
     [訳]私の仁を傷つけてはならないのだぞ
    5.賜也、始可與言詩已矣 Cì yě, shǐ kě yǔ yán shī yǐ yǐ  賜や、始めて與[とも]に詩を言ふべきのみ
     賜(=子貢)よ、それでこそ一緒に詩経を論じることができるね
    6.回也聞一以知十 Huí yě wén yī yǐ zhī shí
     回や一を聞きて以て十を知る
     [訳]顔回(=人名)こそは一を聞いてそれで十を知るのだ
    7.君子之至於斯也、吾未嘗不得見也
     jūnzǐ zhī zhì yú sī yě, wú wèi cháng bù dé jiàn yě
     君子の斯[ここ]に至るや、吾[われ]未だ嘗て見ることを得ずんばあらざるなり
     [訳]君子がここに来たら、私は今までお目にかかれなかったことはないのですよ
    8.聽訟吾猶人也。必也使無訟乎
     tīng sòng wú yóu rén yě, bì yě shǐ wú sòng hū
     訟[うつたへ]を聽くは吾[われ]猶ほ人のごときなり、必ずや訟を無からしめんか
     [訳]訴訟を処理する能力については私は他の人と同程度だよ。どうしても(他の人との違いを言え)というのなら、そもそも訴訟をなくさせようとすることかな。

     文末に用いて、説明したり強調したりする語気を表します。日本語では「~のだ」「~のか」など、文末に「の」を用いる表現がありますが、それと似ています。現代中国語では「是~的」構文に似ています。
     「~のだ」と訳すこと、また後述のように訓読では「なり」と読むことから、be動詞のようなものだと思うかもしれませんがそうではありません。上例1のように名詞や形容詞を述語とする文に使うばかりか、上例2のように動詞を述語とする文にも使うからです。動詞を述語とするときには、その動作はお互いに既知のこととして、さらにその動作を強調したり、その動作が行われた場所や時間や目的…といった詳細を強調したり質問したりというときに用います。
     また疑問(および反語・詠嘆。以下同)文に用いることもできます(上例3)。多くの漢文法書では「乎・耶」などと同様に疑問の文末助字としていますが、単独で用いられることの多い「乎・耶」に対して、「也」は上例3のように他の疑問語と併用されることが多いので、「也」自体は疑問の意味を表しているのではなく疑問文に断定の語気を付加していると考えられます。
     命令・禁止文に用いることもできます(上例4)。やはり「也」自体に命令の意味があるわけではなく(もうすでに「勿」で禁止の意味になっています)、「私の仁徳を傷つけてはならないのだぞ」というふうに命令文に断定の語気を付加しているといえます。
     「也」は人名について、呼びかけを表すのにも使えます(上例5)。もっとも一字の人名に限られるようです。

     このように「也」はいろいろな文の文末に用いて、断定の語気を付加するはたらきをしますが、文中に用いる場合もあるので注意が必要です。
     上例6は主語のあとに「也」を用いて主語を強調しています。訳せば上記のように「~こそは」ということになるでしょう。しかし今までにあげた断定の語気からのつながりでいえば、「顔回なんだけどね、~」というふうに、主語に対する感情の高まりのあまり、そこでいったん発言を中断したものと考えられます。そうするとここは広義には文末とも解釈できます。漢文ではこのように文末かどうかがあやふやなところがあり、そこで伝統的に句読点を打たなかったのかもしれません。
     上例7は主語+述語構造をもった部分に「也」がついています。このような場合は、そこまでが原因や条件になることが多く、「~すると…」「~なので…」「~して…」などのように意訳するとよいようです。
     その変り種として上例8のような「必也」があります。これも「必」の意味さえ正しく解釈すれば上例7のパターンと同じ「原因・条件」といえるのですが、訓読で「かならずや」と読むせいで意味を取り違えがちなのであえてとりあげます。この場合の「必」とは「どうしても~しなければならない」という意味です。何をしなければならないかというと「直前の反例を挙げる」こと。つまり直前の「訴訟を処理する能力については私は他の人と同程度だ」という言明に対して、「あえて例外をあげるとすれば」というわけです。

     訓読では「也」は文末の平叙文の時のみ「なり」と読み、その他の場合は「や」と読みます。また疑問の場合には「か」と読むこともあります(→文法-疑問・反語)。
     しかし最近では「也」を置字扱いする流儀が増えてきました。その場合も読み方自体は変わらないのですが、「也」のところで「なり・や・か」と読むのでなく、送り仮名として補うというやり方をしています。



  2. 矣 yǐ
    1.死已三千歲矣 sǐ yǐ sānqiān suì yǐ 死して已に三千歲なり
     [訳]死んでもう三千年になってしまった。
    2.其爲惑也終不解矣 qí wéi huò yě zhōng bù jiě yǐ
     其の惑[まど]ひたるや終[つひ]に解けざらん
     [訳]その迷いは結局解けずじまいになるだろう
    3.往矣 wǎng yǐ 往け [訳]帰ってしまえ

     現代中国語でいえば、語気助詞のほうの(文末に用いるほうの)「了」にほぼ相当します。つまり、状態が変化したり発生したりすることに気づいた気持ちを表します。「~た」「~しまった」などと訳しますが、必ずしも過去や完了というわけではなく、未来のことにも使いますし現在進行中の動作にも使います。未来のことに用いる場合は、そういう結果になることを予想したり、あるいはそういう結果になることをうながしたり命令したりする意味になります。
     具体的に見ていきましょう。上例1は過去のことですので、すんなり「~た」「~しまった」などと訳せます。上例2は未来のことですので、単に「だろう」としてもいいのですが、この字の「状態の変化・発生」のニュアンスを生かすには、できる限り「~てしまうだろう」のように訳したいところです。上例3は命令文に用いていますが、やはり単なる命令ではなく「~てしまえ」のように訳しています。
     訓読では何も読みません。未来を表す場合には直前の述語に「ん」を、感嘆を表す場合には直前の述語に「かな」をつけたりする場合がありますが、「矣」がなくても未来は「ん」、感嘆は「かな」をつけるのですから、「矣」があるせいでそう読むわけではありません。



  3. 焉 yān
    1.天下莫強焉
     天下に焉[これ]より強きは莫[な]し
     [訳]天下にこれほど強いものはない。
    2.君子有三樂、而王天下不與存焉
     jūnzǐ yǒu sān lè, ér wàng tiān bú yù cún yān
     君子に三樂有り、而して天下に王たるは與[あづかり]り存せず
     [訳]君子には三つの樂しみがあるが、天下を統治することはその三つには関係がない。
    3.其子焉往 qí zǐ yān wǎng
     其の子[こ]焉[いづ]くにか往く
     [訳]その子はどこに行くのか
    4.割鷄焉用牛刀 guō jī yān yòng niúdāo
     鷄を割くに焉[いづ]くんぞ牛刀を用ゐんや
     [訳]鶏をさばくのにどうして牛用の刀を使うことがあろうか
    5.忽焉在後 hūyān zài hòu
     忽焉[こつえん]として後に在り
     [訳]ふいに後ろにいる

     文末に用いられる「焉」はもともと「于是 yúshì」の縮約されたものです。ですからまずは「于是」に置き換えてみます。すると上例1は「天下莫強于是」という比較構文となり、上記のように読むことができます(→文法-比較・選択)。もちろん「于(=於)」は比較だけでなくさまざまな局面で用いるのでずか、「焉」は比較構文で用いることが多いようです。
     この「焉」の意味が軽くなると、「そこに動作が存在することを聞き手に念を押す」意味の語気を示すことが多く、このときは訓読では何も読みません。訓読では置字扱いすることの多い字ですが、よく検討すると、どこかしら「于是」の意味を残していることがあるので、訳では考慮したいところです。たとえば上例2は、「焉」を「于是」に置き換えれば、直前で説明した「三樂の中に」という意味を残していることがわかります。
     以上が「焉」の文末用法ですが、文末以外に用いられる場合にはずいぶん異なる意味になります。
     まず、文末以外の「焉」は場所や方法を表す疑問語として疑問・反語文で用います(上例3・4)。訓読では「いづく」「いづくんぞ」と読みます。ずいぶん異なるような気がしますが、これは「于何」である、つまり「于是」の「是」が疑問語の意味になったものと考えれば、文末用法とつながりがあることになります。
     さらに「焉」は形容詞や副詞を用いる接尾語としても用います。擬態語的な語に用いられることが多いので、上例のように直前からすべて音読みで読むのが普通です。



  4. 乎 hū などの疑問文末助字
     疑問文・反語文の末尾にはよく「乎 hū・邪 yé・耶 yé・與 yú・歟 yú・哉 zāi」などが用いられます。これらの用法については文法-疑問・反語を参照してください。
     なお、「乎」「與」には介詞としての用法がありますので、出てきたから文末とは限らないので注意する必要があります。→文法-介詞(前置詞)