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文法-仮定



  1. 仮定文
    1.朝聞道夕死可矣 zhāo wén dào xì sǐ kě yǐ
     朝[あした]に道を聞かば夕[ゆふべ]に死すとも可なり
     [訳]朝に道を聞いたらその夜に死んでもかまわない
    2.如朝聞道、縦夕死、則可矣 rú zhāo wén dào, zòng xì sǐ, zé kě yǐ
     如[も]し朝に道を聞かば、縦[たと]ひ夕に死すとも、則[すなは]ち可なり
     [訳]朝に道を聞いたらその夜に死んでもかまわない

     一般にどんな言語でも、仮定表現には「~ならば…」という順接仮定のほかに「たとえ~としても…」という逆接仮定があります。また、非現実・反現実のことがらを仮定するような内容もあれば、十分に起こりうるような条件を示すものもあります。
     ヨーロッパの言語など、動詞が多彩に語形変化する言語では、「仮定法」「条件法」「願望法」「接続法」など、呼び名やシステムはさまざまながら、何かしら仮定表現専用の独特な変化形があるのが普通ですし、非現実の仮定なのか十分起こりうる仮定なのかで語形が異なることも珍しくありません。
     しかし漢文ではそのような特殊な語形変化は全くないばかりか、いかなる文法的な語も必要ではありません。仮定を表す語が一切存在しなくても、文脈から判断して仮定文であれば、それは仮定文なのです。
     上例1は仮定を表す語は一切用いられていませんが、内容を吟味すると、「朝聞道」が順接仮定条件であり、その条件の結果が「夕死可矣」です。さらに「夕死可矣」を吟味すると、「夕死」が逆接仮定条件であり、その結果が「可矣」です。順接と逆接の二重の仮定表現が極めてコンパクトな形でそろっています。
     論語の有名なこの文、よく考えてみると意味がちっともわかりません。「道」とはいったい何なのでしょうか。それを聞けば死んでもかまわないというほどですから単なる道案内ではなく哲学的なことなのでしょうが、それほどまでに道の内容を聞きたいということなのか、「らくだが針の穴を通るより難しい」同様に、「なかなか聞けない。聞けたときにはもう死ぬ寸前」ということなのか。さらには「道とは何か」を聞きたいのか、「道徳がこの世で守られているかどうか」ということなのか、いろいろ解釈できそうです。これに関しては後にまた検討したいと思います。
     そんなわけで漢文の仮定表現には仮定を表す語は一切必要ないのですが、さすがに中国人もこれではわかりにくいようで、やはり仮定の助字が存在します。上例2は1にそのような助字を補ってみたものです。
     仮定表現は仮定条件を表す前半と、結果を表す後半とにわかれます。前半後半それぞれに仮定を表す語をおくことができますし、前半が順接仮定条件であるか逆接仮定条件であるかによっても用いる助字が異なります。以下、それぞれ分けて説明するとして、前半と後半の訓読の仕方をまとめておきます。

     仮定の助字が一切存在しない場合、音読では読みの変化があろうはずもありませんが、訓読では仮定であることを明らかにするような読み方をします。
     順接仮定条件では、前半の述語には「ば」をつけます。もともと日本語では、未然形+「ば」が仮定条件であり、已然形+「ば」が確定条件です。ですから「ば」の前は上例のように未然形にすべきです。ところが漢文訓読の技法が発展した江戸時代には、もうこのような区別がなくなってしまい、已然形+「ば」でも仮定条件を表すようになったので、漢文訓読では已然形+「ば」もけっこう出てきます。現在の高校漢文ではできる限り未然形+「ば」で読むようにしているようですが、すでに已然形+「ば」の読みが定着した故事成語や、非現実の仮定でなく単なる条件を表す場合、また法則・教えなどによくある「~すると必ず…」という恒常条件を表す場合には已然形+「ば」もよく見かけます。
     未然形に「ば」を接続させる場合、形容詞では「-くんば」という形になりますし、「ず+ば」は「ずんば」という特殊な形になります。
     逆接仮定条件では、前半の述語に「とも」をつけます。接続は終止形ですが、形容詞や「ず」には連用形に接続します。これも非現実の仮定でない場合には「ども」(已然形接続)になる場合があります。
     結果のほうには特に何もつけませんが、仮定表現の結果は「~だろう」という推量になることが多いので、そういう意味を明らかにする場合には、述語に「ん」をつけることがあります。「べし」+「ん」は「べけん」となることに注意してください。



  2. 順接仮定条件の助字
    1.學若無成死不還 xué ruò wú chéng sǐ bù huán
     學[がく]若[も]し成ること無くんば死すとも還[かへ]らず
     [訳]もし学問が完成しなかったら死んでも故郷に戻るまい
    2.必不得已而去、於斯三者何先
     bì bù dé yǐ ér qù, yú sī sān zhě hé xiān
     必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於て何をか先にせん
     [訳]もし仕方がなくて捨てるならば、この三つの中で何を先にしましょうか。
    3.今子食我、是逆天帝命也 jīn zǐ shí wǒ, shì nì tiāndì mìng yě
     今[いま]子[し]我を食[くら]はば、是れ天帝の命に逆らふなり
     [訳]もしあなたが私を食べたら、天帝の意向に反してしまいます。

     ここでは順接仮定条件に用いる助字をまとめます。いろいろな助字がありますが、どの助字も仮定部分の冒頭、あるいは主語の次に置かれます。
     一番ふつうなのは、若 ruò、如 rúです。訓読では「もし」と読みます。どちらも「~ごとし」と読む前置詞のはたらきもある字なので識別に注意してください。返り点のついた文であれば、「ごとし」は返読文字なので次から返って読むが「もし」は返り点がない、という点で判断できますが、白文の場合はそうはいかないからです。句読点もないような文だと識別に手こずることがあります。ともかく「若・如」は「ごとし」「もし」両方の可能性があることを肝に銘じて、思い込みに陥らないようにすることです。
     これ以外の順接仮定条件の助字には「設 shè」「卽 jí」「則 zé」「儻 tǎng」「苟 gǒu」「假 jiǎ」などがあります。訓読は「苟」が「いやしくも」、「假」が「かりに」、その他が「もし」です。もっとも人によっては「苟」や「假」も「もし」と読んだりします。「卽・則」は後述のように結果部の頭にも使うので注意が必要です。
     また、「今 jīn(いま)」「向(嚮) xiàng(さきに)」「果 guǒ(はたして)」「誠 chéng(まことに)」「必 bì(かならず)」のような副詞も、順接仮定条件の助字として用いることがあります。それぞれ「いま仮に~ならば」「当初から~たとすれば」「果たして~としたら」「本当に~としたら」「どうしても~するならば」という意味から仮定に転用されるのでしょうが、必ずしもそれぞれの副詞の原義を考慮せねばならぬわけではなく「もし」と訳すほうがいいかもしれません。
     また、どの文字も仮定でなく本来の意味で使うことも多いので、判断に迷う場合があります。たとえば上例3は「いま」と訳しても通じそうですが、別の日だったら食べていいというわけではないので、やはり「もし」が適当でしょう。このように文字の原義が残っているのかどうかをしっかり吟味すべきです。



  3. 逆接仮定条件の助字
    1.縱江東父兄憐而王我、我何面目見之
     zòng Jiāngdōng fùxiōng lián ér wáng wǒ, wǒ hé miànmù jiàn zhī
     縱[たと]ひ江東の父兄[ふけい]憐[あはれ]みて我を王とすとも、我何の面目ありてか之に見[まみ]えん
     [訳]たとえ江東地方の長老たちが私を哀れんで王として待遇してくれるとしても、私はどんな顔をして彼らに会えばよいのか
    2.其身不正、雖令不從 qí shēn bú zhèng, suī lìng bù cóng
     其の身正しからずんば、令すと雖も從はれず
     [訳]君主の身が正しくなければ命令しても従われない
    3.門雖設而常關 mén suī shè ér cháng guān
     門は設けたりと雖[いへど]も常に關[とざ]せり
     [訳]戸はあるけれどもいつもしまっている
    4.卽君百歲後、秦必留我 jí jūn bǎi suì hòu, qín bì liú wǒ
     卽[も]し君百歲の後なりとも、秦必ず我を留[とど]めん
     [訳]たとえ父君に万一の事態があったとしても、秦は絶対に私を人質にして解放しないでしょう。

     逆接仮定条件を表す助字は「縱 zòng」です。訓読では「たとひ」と読みます(「たとへ」ではありません)。
     また「雖 suī」も逆接仮定条件に用いられます。訓読では「~といへども」のように次の述語から返って読みます。「いへども」という読みにひきずられて「言う」意味を強調したり「~けれども」のような確定条件で訳したりしないように注意しなければなりません。ただし3のように「~けれども」という意味で用いることはあります。
     順接仮定条件のところで出てきた字が逆接仮定条件に使われることもままあります。訓読ではこのようなときに「たとひ」と読む流儀もありますがあまり一般的ではありません。訓読では普通どおり読んでおいて訳の上で逆接仮定条件であることを考慮するようにします。ただし仮定部分の最後は「とも」にしたほうがいいでしょう。



  4. 結果の助字
    1.君子不重則不威 jūnzǐ bú zhòng zé bù wēi
     君子重からずんば則ち威あらず
     君子は重々しくなければ威厳がない。

     仮定の結果部分には「卽 jí」「則 zé」などを用います。訓読ではどちらも「すなはち」と読みます。仮定の結果部分に用いるということは、直前が順接仮定条件の「ば」になっていることが多いので、昔から「レバ則」という形で教えられてきました。



  5. その他の仮定表現
    1.王不備伍員、員必爲亂 wáng bú bèi Wǔ Yuán, Yuán bì wéi luàn.
     王[わう]伍員[ごうん]に備へずんば、員必ず亂を爲さん
     [訳]王が伍員を警戒しなければ伍員はきっと反乱を起こすでしょう
    2.非禮勿視 fēi lǐ wù shì 禮に非ずんば視る勿[な]かれ
     [訳]礼にかなっていなければ見てはならない
    3.微管仲、吾其被髪左衽矣 wēi Guǎn Zhòng, wú qí bèi fà zuǒ rèn yǐ
     管仲微[な]かりせば、吾其れ被髪左衽[ひはつさじん]せん
     [訳]管仲がいなかったならば、私たちは髪を結わず左前の着物を着ていたろう
    4.其在彼邪、亡乎我 qí zài bǐ yé, wú hū wǒ 其れ彼に在らんか、我に亡し
     [訳]彼に存在するならば私にはない。
    5.令他馬固不敗傷我乎 lìng tā mǎ gù bú bàishāng wǒ hū
     他馬ならしめば固[もと]より我を敗傷せざらんや
     [訳]ほかの馬であったならばきっと私を傷つけたことだろう。
    6.誠卽得水、可令畝十石 chéng jí dé shuǐ, kě lìng mǔ shí shí.
     誠に卽[も]し水を得ば、畝[ほ]ごとに十石[じつせき]ならしむべし
     [訳]もし水があれば、畑一畝ごとに収穫が十石になるだろう
    7.鄕使魯君察於天變、宜亡此害 xiàng shǐ lǔjūn chá yú tiānbiān, yí wú cǐ hài.
     鄕[さき]に魯君をして天變を察せしめば、宜しく此の害亡かるべし
     もし魯君が天變を察していれば、宜しく此の害亡かるべし

     ここでは、上記の形式に従わない仮定表現をいろいろとりあげます。
     「仮定文にはいかなる助字も必須ではなく、文脈から判断して仮定であれば仮定文である」といいました。ですからどんな文でも2つくっつけば前半は仮定になりうるのですが、前半が否定文であると仮定である可能性が高まります(1)。さらに後半まで否定であるとかなり高い確率で仮定になります(2)。このような否定文の連続による仮定表現を「否定の連用」と名づけている人もいます。
     前半が否定文の形式をとる仮定文では、「不~」は「~ずんば」と訓読し、「無~」は「~なくんば」と訓読します(已然形接続で「~ざれば」「~なければ」もありえますがここではおきます)。「微」は、通常は「無」と同じく「なし」と読みますが、仮定文の場合だけは「~なかりせば」という特殊な訓読になります(3)。
     疑問文を前半に用いて仮定の意味を表すことがあります(4)。このときの疑問文は末尾に疑問助字をつける形です。訓読ではその疑問助字のところで「~んか」と読みます。
     前半が使役文でも仮定になる可能性が高くなります(5)。現実にはそうではなかった(私の馬はおとなしかったから助かった)のだが、あえて現実とは異なる場合を想定する気持ちから仮定になるのでしょう。ですから単なる条件→結果という仮定ではなく、ヨーロッパの言語の仮定法や日本語の助動詞「まし」の反実仮想のような、非常に仮定らしい仮定になります。訓読ではそのまま使役文として読みますが、訳では使役の意味を取り去る必要があります。
     仮定文では助字を複数同時に用いることがあります(6-7)。このような場合、訓読ではそれぞれの助字を別々に読んでもいいのですが、これらの助字をまとめて「もし」だの「たとひ」だのと読む習慣も多く見受けられます。たとえば6は、冒頭「誠卽」二字で「もし」と読んでもいいわけです。また、使役の助字を含めて「もし」「たとひ」などと読む場合は、使役の「~をして~しむ」という読みを取り去る必要があります。たとえば7の冒頭「鄕使」二字を「もし」と読む場合は、その後を「魯君天變を察せば」と変えねばなりません。