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文法-否定



  1. 否定のしかた
    1.行不騎乘 xíng bù qíchéng 行くに騎乘せず
     [訳]出かけるときに馬に乗らない。
    2.句讀之不知、惑之不解、或師焉、或不焉。
     jùdú zhī bù zhī, huò zhī bù jiě, huò shī yān, huò bù yān.
     句讀の知らざる、惑の解けざる、或いは師とし、或いは不[しか]せず。
     [訳]読み方が分からないときには先生につくのに、人生の悩みが解決しないときは先生につかない。
    3.未聞好學者也 wèi wén hào xué zhě yě 未だ學を好む者を聞かざるなり
     [訳]まだ学問が好きな人がいるということを聞いたことがない。
    4.吾未見其明也 wú wèi jiàn qí míng yě 吾未だ其の明なるを見ざるなり。
     [訳]私にはそのことが賢明なことであるとは、あまり思われない。
    5.非常人可到 fēi chángrén kě dào 常人の到るべきに非ず。
     [訳]ふつうの人が到達しうるところではない。
    6.客舎寒無烟 kèshè hán wú yān 客舎寒く烟[けむり]無し。
     [訳]応接間は寒く、暖房のための煙もたっていない。
    7.何爲其莫知子也 héwéi qí mò zhī zǐ yě
     何爲[なんす]れぞ其れ子[し]を知る(もの)莫きや
     [訳]どうして誰も先生を知らないんでしょうか
    8.臣未之聞也 chén wèi zhī wén yě 臣未だ之を聞かざるなり。
     [訳]私はまだこれを聞いたことがございません。

     漢文では否定の語は以下のように4系統あります。
    不 bù ・弗 fú ない動作・状態の否定
    未(wèi)いまだ~ずまだ~ない「今までない」「限らない」
    非 fēi ・匪 fěi (に+)あらずでない「である」の否定
    無 wú ・毋 wú ・亡 wú ・勿 wù ・莫 mòなしがない存在を否定
     「不」は1や2のように動作や状態の否定に用います。要するにごく普通の否定です。訓読では「ず」と読みます。2の最後のように「不」のあとの述語が省略されてしまったとき、日本語の「ず」は助動詞なのでいきなり「ず」とは言えず必ず何か別の用言が必要になりますので、「しかせず」「しからず」と読むなど工夫をします。
     「未」は、「まだ~ない」、つまり将来はさておきこれまでにはそのようなことがない、という意味の否定です(3)。現代中国語の「沒 méi」に相当します。また、この意味が転じて、「ひょっとしたら正しいかもしれないがたぶん違う」といった、控えめな否定の意味にも使います(4)。述語が省略されたときは「いまだし」と読みます。
     「非」は「~でない」という意味です(5)。単なる否定ではなく「~という定義・範疇に属していない」ということです。難しく説明するより「~でない」という訳を見たほうがわかりやすいでしょう。
     「無」は「~がない」、つまり存在の否定です(6)。語順は通常「無~」となります。中国語では「既知情報が先、未知情報が後」なので、何がないのかという肝心の情報は後に来るわけです。しかしまれに、「ない」ことのほうが肝心の未知情報になることもあるので、「~無」という語順もありえます。→文法-五文型
     なお、上記の表で「不・弗」「非・匪」は用法の差がありませんが、「無」グループの5つは本来必ずしも同等ではありません。wúと読む「無・毋・亡」はまったく同じと言い切れますが、「勿」と「莫」のもともとの意味は少々異なります。けっこう混用されることも多いので高校生用の参考書ではみんな同じであるかのように書いてあるものが多いですが、本来の用法の差異を頭の片隅にとどめておいてください。
     「勿」はもともと「無~之」です。つまり~の部分には動詞的述語が来て、「これを~することがない(するな)」という意味になるわけです。ですから次の禁止文に用いるほうが多い字です。用例は次の「禁止」でとりあげます。
     「莫」はもともと「無~者」つまり「~するものがない」という代名詞的な意味をもつ字で、英語のnobodyに相当します(8)→文法-代名詞。訓読ではこの意味をくみとって、直前の動詞に「もの」という送り仮名を補う人もいますが、一般的とはいえません。それでもできる限りこの意味にそって解釈すべきです。

     否定文に関して語順上の重要な法則があります。目的語が代名詞のとき、述語と目的語がひっくり返り、「否定語+目的語+述語」という語順になることがあります(8)。ただしこの現象は必ず発生するわけでなく、普通の語順になることもありますし、否定語が「不」で代名詞が「之」のときはこのような倒置は起こりません。
     主に古い時代の文献に見られる語法ですが、後代でも古体の文をまねて文を書くことがあるので要注意です。



  2. 禁止文
    1.無變古、毋變常 wú biān gǔ, wú biān cháng
     古きを變[か]ふる(こと)無かれ、常を變ふる(こと)毋[な]かれ
     [訳]古くからのことを変えてはいけない。いつものことを変えてはいけない。
    2.己所不欲勿施於人 jǐsuǒ(fù/bù/bú/fǔ)yùwù(shī/shì/yì)(wū/yú)rén  己の欲せざる所(は)、人に施す(こと)勿[な]かれ
     [訳]自分が望まないことは他人にしてはならない

     否定文を命令文にすると「~するな」という禁止文になります。
     そもそも中国語の命令文には何一つ特徴的な形はありません。「王來 wáng lái 王來[きた]る」という平叙文が文脈によってこのまま「王來 wáng lái 王(よ)來れ」という命令文になりうるわけです。訓読の場合は命令形に読み替えますが、音読の場合は一切変化がありません。
     ですから前項の否定文の多くは文脈を無視すれば(現実には1人称の文は命令文になりにくいですし、今までのことに用いる「未」(まだ~ない)は、これからのことである「命令」にはなりえないですが)そのまま禁止文になりえます。
     しかし現実には「不」系統や「非」系統はあまり禁止文にならず、圧倒的に「無」系統の語が用いられます。訓読は「なし」の命令形ですから「なかれ」。また通常は用言が否定されるので、連体形にして、口調や流儀によって「こと」などを補って「なかれ」とします。
     前項「否定」で述べたように「勿」はもともと「無~之」という意味です。ですから上記2の「勿施於人」は「無施之於人」、つまり「これ(=自分が望まないこと)を人にしてはならない」ということになるわけです。このような意味なので「無」系統の中でも禁止に用いやすい字といえます。



  3. 全部否定と部分否定
    1.種之常不後時 zhòng zhī cháng bú hòu shí  之を種[う]うること常に時に後[おく]れず
     いつも時機に遅れることなく作物のたねをまいた
    2.千里馬常有、而伯楽不常有。
     qiānlǐmǎ cháng yǒu, ér bólè bù cháng yǒu.
     千里(の)馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
     [訳]一日に千里を走る名馬は常に存在するのだが、馬を見分ける名人はいつもいるわけではない。
    3.兩虎共鬬其勢不俱生
     liǎng hǔ gòng dòu qí shì bù jū shēng
     兩虎共に鬬はば其の勢[せい]俱[とも]には生きず
     [訳]二頭の虎が戦いあったら、その結果は二頭とも生き残るわけではなく、どちらかが死ぬ。
    4.有言者不必有徳 yǒu yán zhě bú bì yǒu dé 言有る者は必ずしも徳有らず。
     [訳]言葉のうまい人は必ずしも徳をそなえているわけではない。
    5.好讀書不求甚解 hào dú shū bù qiú shèn jiě
     書を讀むを好めども甚だしくは解することを求めず
     [訳]書物を読むのが好きだが懸命に理解しようとはしない
    6.黃鶴一去不復返 huánghè yí qù bú fù fǎn 黃鶴一たび去りて復た返らず
     [訳]黄色い鶴は飛び去ると二度と戻ってくることはなかった。
    7.會其怒不敢獻 huì qí nù bù gǎn xiàn 其の怒りに會[あ]ひて敢[あへ]て獻ぜず
     [訳]彼の怒りを買ったので、無理に献上することはしなかった(=献上する勇気はなかった)。
    8.觀百獸之見我敢不走乎 guān bǎishòu zhī jiàn wǒ ér gǎn bù zǒu hū
     百獸の我を見て敢て走らざらんやを觀よ
     [訳]すべての獣が私を見ると必ず逃げていくという様子をご覧なさい。

     頻度を表す副詞が述語を修飾している語句が否定になる場合、否定語の位置によって意味が変わってきます。つまり、
    常見 cháng jiàn 常に見る [訳]いつも見る →
    (A)は「常+不見」と分析できます。「いつも+見ない」ので、見る可能性は限りなく0%です。一方(B)は「不+常見」と分析できます。「いつも見る+のはない」つまり否定語が「見る」ばかりか「いつも」のほうまで否定してしまうので、見る可能性が80%程度でありたまに見るのをサボるというのであっても成立してしまいます。
     このように(A)は強い否定になるので「全部否定」、(B)は弱い否定になるので「部分否定」といいます。部分否定のほうは「~というわけではない」とか「~とは限らない」とかいう訳になります。
     そして訓読では部分否定のときに副詞のあとに「は」を入れる習慣があります。たぶんその「は」は、訳語の「~というわけでない」「~と限らない」の「は」なのでしょう。
     同種の読み方をする副詞には以下のようなものがあります。否定語は「不」以外に「未」「非」「無」でも同じですので以下「不」だけあげます。なお、現実には部分否定の文が多く、全部否定の文はめったに出てきませんので、以下は部分否定の文を中心に掲げます。
    不俱俱[とも]には~ず両方とも~するわけではない
    不自自[みづ]からは~ず自分から~するわけではない
    不盡盡[ことごと]くは~ずすべて~するわけではない
    不重重[かさ]ねては~ず二度とは~するわけではない
    不必必[かならず]しも~ず必ずしも~するわけではない
    不甚甚[はなは]だしくは~ず激しく~するわけではない
    不復復[ま]た~ず二度と~するわけではない
     部分否定の場合、訓読では「は」をつける、といいましたが、上記の下のほうはその例外です。「必」は「必ずしも」、「甚」は「甚だしくは」となります。(4,5)
     「復」の場合(6)は全部否定も部分否定も「復(ま)た」であり、読みわけをしません。しかも次のように、 部分否定のほうは、「[また帰る]ことがない→二度と帰らない」と、全部否定よりも強い意味になってしまいます。それでも形式的に「不復~」のほうを部分否定と呼ぶ流儀が普通です。

     部分否定と似ているものに「不敢~」という表現があります(7)。訓読では「は」を用いずに「敢(あ)へて~ず」と読みます。「敢」というのは「おそれはばかるところなくすすんで」という意味ですから、「積極的に~することはしない」という部分否定的な弱い意味になります。現代中国語の辞書でも「~する勇気はない」などという弱い訳にしています(小学館『中日辞典』)。
     ところが高校生用の参考書・辞書・教師用指導書の類では「決して~ない」というかなり強い否定表現の訳が書かれています。この件については大修館書店が出している「漢文教室」という雑誌で過去に議論がありました(154,156,158,159,163)が、一部の辞書に載っていた「すすんで~しない」という訳が一人歩きして「すすんで/しない」→「決して~ない」という訳が生まれてしまったもののようです。
     もちろん「献上する勇気がなかった」「積極的に献上しようとしなかった」のであれば、状況が変化して相手がにこやかに接してこない限り物を献上しないわけですから結果として「決して献上しなかった」ことにはなりますが、心の動きとしてはまるきり異なります。「決して献上しなかった」というと、その物を大切にしていて相手からぜひ譲ってくれと言われても献上しなかったということにもなってしまいます。
     ではなぜ「不敢~」を部分否定と呼ばず訓読でも「は」を入れないのかは私にはよくわかりませんが、たぶんそれは、これの「全部否定」に相当する「敢不~」が、反語文でしか用いられないという事情からかもしれません(8)。



  4. 二重否定
    1.父母之年不可不知也 fùmǔ zhī nián bù kě bù zhī yě
     父母の年は知らざるべからざるなり
     父母の年齢は知らないわけにはいかない
    2.於物無不陷 yú wù wú bú xiàn 物に於て陷[とほ]さざるは無し
     すべてのものについて、突き通さないものはない。
    3.官母賜我母不敢不受 guān mǔ cì wǒ mǔ bù gǎn bù shǒu
     官の母の我が母に賜ふは敢へて受けずんばあらず
     お役人様のお母さまから私の母にいただいた品物は、受け取らないわけにはいきません。
    4.偶有名酒無夕不飮 ǒu yǒu míngjiǔ wú xī bù yǐn
     偶[たまたま]名酒有り夕[ゆふべ]として飮まざるは無し
     たまたまよい酒が手に入ったので毎晩飲まない夜はなかった。

     否定語を二つ重ねた表現を二重否定といいます。
     否定を否定するのですからまた元に戻るのですが、自然言語はなかなか-1×-1=+1というけにもいかず、やはり単なる肯定に比べていろいろなニュアンスが加わります。しかし、複雑な表現の場合はとりあえず二つの否定語を取り除いてみて「結局どう言っているのか」という見通しをたてた上で、あらためて原文に即して二重否定として訳すというのが、誤訳を避けるコツといえます。
     どんなニュアンスが加わるかは状況次第です。高校生向けの参考書の中には「漢文の二重否定は強い肯定である」と説明している本が見受けられますが、一概には言えません。日本語だって「みんなする」に比べて「~しない人はいない」といえば強い肯定なのかもしれませんが、「する」に対して「しないわけではない」といえば消極的な意味です。ですからそういうことは必ず文脈で判断すべきです。
     上記部分否定の「不敢」ともかかわってきますが、過去(昭和59年)に共通一次試験(現・大学入試センター試験)で「不敢不受」の意味が出題されました(上記3)。このときの正解は「受け取らないわけにはいきません」であり、誤答選択肢の中には「是非とも受け取らせていただきます」という積極的な強い肯定もありました。「漢文の二重否定は強い肯定である」と思い込んでいた人は誤答したかもしれません。
     訓読の場合は原則として活用形に注意しながら二つの否定語を読んでいけばいいので、特に問題はありません(高校生にはよい文語文法の練習になります)が、以下の事項に注意してください。  「無~不-」の中には、特殊な表現として、~の部分に名詞、-の部分に動詞などの用言が来て、「-しない~はない」つまり「すべての~は-する」という意味になるものがあります。訓読では「~として~ざるはなし」と読みます(4)。



  5. このほかの否定にからむ表現
     否定に関する表現はこのほかにもいろいろありますが、他の表現とからむために他の箇所にまわしたものもあります。それらは次のとおりです。
    1. 否定の連用……文法-仮定
    2. 不若、無若……文法-比較・選択
    3. 不但……文法-限定・累加