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効能書


  1. 『支那文を讀む爲の漢字典』を知っていますか?
     『支那文を讀む爲の漢字典』(以下『支那漢』と略)を知っていますか? えっ、知らない? それはいけませんね。もしあなたが漢文や中国語を専攻しているならそれはモグリですよ。先生や先輩方から勧められたことがきっとあるはずです。
     一般書店には常時在庫していないかもしれませんが、通常ルートで注文すればいまでも入手可能な字典です。が、手にとって見ると、1915年に上海商務印書館で発行された、陸爾奎、方毅『学生字典』を翻訳しただけの字典。しかも文語体だし、活字もレイアウトも古めかしく、書名には禁断の「支那」という言葉を冠している。こんな古めかしい字典が昭和15年以来、文求堂→研文出版(山本書店出版部)と発行元を変えていまだに版を重ね(最終は平成6年の10版)ているのは、この字典には熱狂的なファンが存在し続けているからなのです。
     いや、単に存在し続けているだけではありません。普通の人は同じ本を二つも三つも買ったりしませんから、この字典が売れ続けているということは、『支那漢』のファンが、友人・後輩・教え子に『支那漢』の魅力を説き、新たな『支那漢』ファンを生み続けているということにほかなりません。
     そして、『支那漢』に魅力があるということは、裏返せば、他の辞典には難点があるということです。実際、『支那漢』原著の例言の最初で田中慶太郎は、「漢和字典は非常に多いが、支那文を読むのに役立つ漢和字典は少ない」という内容の文を書いていますし、「現行の漢和字典の」とまで言い切っています。
     では、『支那漢』以外の辞典の「弊=弊害=難点」とは何なのでしょうか。『支那漢』の魅力とは何なのでしょうか。以下、順を追って説明しましょう。



  2. 漢和辞典の欠点
     漢文を読むための辞書は漢和辞典と言われていますが、みなさんが小学校で初めて「漢和辞典」というものを習ったとき、どう説明されましたか? 「漢字の読み方がわかるときは国語辞典をひき、読み方が分からないときは漢和辞典をひく」ではありませんでしたか? そう、漢和辞典には「漢字でひく国語辞典」という特徴もあるのです。漢文離れが著しい今の日本では、漢和辞典は「漢文を読む辞典」ではなく「漢字でひく国語辞典」という性質のほうが強くなっているのではないでしょうか。もっとズバリ言えば、漢和辞典は「中国語を読む辞典」から「日本語を読む辞典」へと変質してしまったということです。
     同じ漢字を用いていても、中国語と日本語とでは相当に意味の違うことがあり、よくクイズ番組のネタにもなっているほどです。『支那漢』原著の贅後(あとがき)で田中慶太郎は「漢學」「漢文」「新聞」「汽車」「情實」「役人」「約束」「勘定」「料理」「不在」「勉強」「書院」「助長」という例を挙げています。念のため解説しましょうか?
    漢學……漢代の学問(訓詁学を主体とした経学)
    漢文……漢代の文章
    新聞……ニュース
    汽車……自動車
    情實……まごころ、真情、ありのままの事実
    役人……人足、人夫
    約束……命令、束縛、制限
    勘定……調べて決定すること。特に書物の字句の各版本における異同を比べて、どれが正しいかを決定することをいう
    料理……うまく処理する、きりもりする、世話をする、整理する
    不在……死んでしまうこと
    勉強……力をつくす、無理やり行う
    書院……もとは中書省に属する文書を司る部署、その後は地方に設けられた読書・勉学をするための機関で、いわば学校の前身である
    助長……成長を助ける(日本語では「悪い傾向を増強する」)
     意味の違いはこのような熟語・複合語にとどまりません。実は単漢字の意味でもかなり違いがある場合があります。そのほとんどは、日本で独自に意味・用法が付け加わったというものです。たとえば次のような意味は、中国では用いられていません
    串……焼き鳥などに使う細い棒
    安……容易だ、価格が低い
    御……名詞などの前について敬語を作るはたらき
    着……到着する。また衣服を数える単位
    賽……さいころ
    面……仮面
     まだまだ無数にありますがこのへんにしておきましょう。
     このような意味の違いが生じる原因はいろいろありますが、大きな要因の一つに「訓読み」があげられるでしょう。たとえば上の例の「安」をみると、もともとの中国での意味は(これだけではありませんが)「気楽だ、快適だ」というものです。それを古代の日本語では「やすし」と言ったので、いつしか日本では「安」を「やすし」と読むようになりました。ところが日本語の「やすし」には「容易だ」という意味もあり、さらに後代には「価格が低い」という意味も加わりました。そのような「やすし」の意味の広がりや変遷が「安」にも伝った結果、日本ではそういう意味が付け加わってしまったわけです。それというのも「安」と「やすし」とが、単なる訳ではなく漢字の「読み」という形で強固に結びついてしまったからにほかなりません。
     日本語では漢字を音だけでなく訓読みをするのが特徴であり、訓読みというなかば「翻訳」をしながら読むことで漢字をより身近により深く駆使してきたわけですが、ものごとはすべて両刃の剣であり、このことでかえって漢文を誤読する危険も増しているのです。そのような「訓読みの弊害」をいくつかにわけてふりかえってみましょう。
    1. 日本語の事情が混入してしまう……上にあげた「安」の事例がそうです。つまり「安」と「やすし」の結びつきにより、日本語の「やすし」の意味内容の広がりや変化が、中国語の「安」にも通用するものと思い込んでしまうわけです。このような例は無数にあります。
    2. 細かな意味の違いが表現できない……一般に中国語は概念を非常に細分化する傾向があり、日本語など他の言語では区別しないような細かな差異をとらえてまったく別の表現をするということがよくあります。そこで多種の文字が同じ訓読みになってしまう例がいろいろあります。たとえば「丸」は立体の球形、「圓(円)」は平面の円形を意味します。ところが訓読みではどちらも「まるい」と読んでしまうので、そのような意味の違いが消えてしまいます。
    3. 意訳ができない……ふつうの翻訳であれば「意訳」つまり文脈に応じて訳語を変えてしまうというワザがいろいろ工夫できます。しかし訓読みは「読み」であるためそういう融通がききません。たとえば論語の「學而時習之」の「時」は、(異説もありますが)支那漢でちゃんと「常なり」と説明しているように「いつも」という意味ですから、「學而時習之」は「勉強したことをいつも復習する」、たとえば書物で学んだり先生から学んだりしたことを日常生活のあらゆる場面で思い出し応用していくなどということを言っているのです。しかし訓読みでは「時」を「つねに」「いつも」などと読む融通がきかないので「まなびてときにこれをならふ」と読んでしまいます。これにしたがって訳すと「勉強をするときに復習をする」というピントのボケた訳をしてしまいがちです。
     訓読みは漢字の伝来以後1500年にわたって日本人が漢字と格闘した成果であり、外国語である中国語をまるで日本語のように見せかけるフィルタ、自動翻訳機というべき優れたものです。しかしそれだけに、1500年間の日本語の変化などの日本側の事情が混入したり、中国語と日本語の差異を隠蔽してしまったりという欠点も持ち合わせているというわけです。
     そして、日本人が長らく漢文読解に使用してきた道具である漢和辞典は、この訓読みという技法に基づいているために、漢文-日本語対訳辞典という性質だけでなく、「漢字でひく国語辞典」という性質を濃厚にもっています。ですから漢和辞典を使って漢文を読むと、日本でしか使われない意味で漢文を解釈してしまったり、漢文の語の細かなニュアンスが不明確になったり、思わぬ誤読をすることがあるのです。
     このためには純粋に「漢文-日本語対訳辞典」としての性質をもった辞典がほしいところです。あたかも英和辞典のようにひける漢和辞典が。しかし、強固な漢文訓読の伝統のなかではなかなかそういうものは作れず、「中国人の中国人による中国人のための辞典を翻訳する」という荒業によってはじめて可能だったのです。



  3. 中国語辞典の欠点
     それなら、漢和辞典さえ使わなきゃ、中国語辞典(中日辞典ないし中中辞典)を使えばいいじゃないか、と思うかもしれません。しかし2つの点でやっかいです。
     1番目に、現代の中国語辞典は簡体字を使っているため、漢文はもとより革命前の文語・口語文を読むのに苦労すること。単に字体が違うだけならまだいいのですが、簡体字化に際して異なる字を一つにまとめてしまったものがけっこうあり、往々にして混乱のもとになります。この点では日本の漢和辞典も、大漢和辞典などを除けばことごとく失格です。
     2番目に、現代の中国語辞典は、一部の入門用辞典が日本語の五十音順になっているほかは、ほとんどがピンイン(大陸のローマ字)順の配列になっているということです。そのこと自体は別にいいのですが、困るのは、多音字の扱いです。「日本語では一つの字にさまざまな読み方があるが、中国語では原則として一字一音だ」とよく言いますが、実は複数の音を持つ字は意外に多いのです。で、多音字の何が困るかというと、一つの字の説明がそれぞれの音のところに分断されて載っていることです。たとえば「悪」は「わるい」のときはè、「にくむ」のときはwùです。これがèとwùのところに分断されて載っているので、両方を引かないとわからない。いくら「何ページを見よ」と書いてあったとしても面倒には違いありません。これが部首・画数順ならば、同じ箇所に説明が集中するので圧倒的に便利です(発音順でも複数の音のどれか1つにまとめて、あとは「ここを見よ」とすればいいと思うんですが、なぜかみんな分断方式です。『新華字典』の悪い習慣をみんなまねしているんでしょうか)。文章読解の場合は原文には発音が書いてあるわけではなく、「意味がわかってから音がわかる」のですから、発音別に説明が分断されるのは非常にまずいのです。
     この2つの問題を一挙に解決してくれるのが、台湾で出ている国語辞典です。台湾の辞典は旧字体だし、部首・画数順ですから。機会がありましたらぜひ台湾の辞典を使ってみるといいでしょう。しかし日本の中国書籍店はみんな大陸からしか本を輸入しないので、台湾書籍の入手には非常に苦労します。いっそ台湾旅行してしまうか、ネット通販を利用しましょう。
     しかしこの2つの問題が解決したとしても、現代の中国語辞典はやはり現代中国語の読解用であり、漢文読解を主としたものではありません。もちろん現代中国語の辞典で漢文読解ができないわけではありませんが、少々ピントがぼけたものになってしまいます。
     どんな言語の勉強でも、入門段階を終えたらなるべく早く、英英辞典のような外国語をその同じ言語で説明した辞典を使う習慣をつけるといいといわれています。ですから漢文も、中国で出版された中中辞典を使う必要があるでしょう。しかし中中辞典を使う実力がつかないうちは、漢文-日本語辞典に頼りたいところですし、中中辞典が使えたとしても、上記のような3つの不便な点(簡体字使用、発音順、現代語中心)が残るというわけです。



  4. 「辞典」(詞典)の欠点
     『支那漢』は小さな辞典です。WEB版では全体像が分かりにくいかもしれませんが、コンサイス版で約650ページ、厚さは25ミリ程度で、高校生用の英和辞典よりも薄いものです。終戦直後の昭和21年に出た版では薄い紙を使っておりそれだと厚さ10ミリ程度になってしまいます。コンサイスの中でもデイリーコンサイス程度の薄さになりうるわけです。内容を見ても字の説明だけで熟語は載っていない。こんなちゃちな辞典(いや、熟語が載っていないので「字典」というべきですね)が果たして役立つのでしょうか。
     ふつうの中日辞典や漢和辞典では、親字の説明の下にその字で始まる熟語がずらっと並んでいます。すると読者はついつい親字の説明を読まずに熟語に直行してしまうので、「熟語の数が辞書の命」というところがあります。
     が、熟語を載せ始めるときりがありません。これも載せよう、あれも載せよう、人名や地名や書名も載せよう……となると、たちまち大漢和辞典、中文大辞典、漢語大詞典レベルの膨大な辞典になってしまいます。もちろんそういう辞典も必要でしょう。が、詳しい調べものをするときにはそういう大辞典を使うとして、日常的にはもっとハンディな辞典を使いたいものです。
     それに、熟語は時代によって異なるので、熟語本位の辞典では現代語用と漢文用との互換性がなくなります。しかし一字一字に分解すれば、漢文も現代中国語も共通性があるのです。
     ですから現代中国語の辞典で漢文を読むときは、熟語部分はほとんど参照しません。熟語部分はどうせ現代語ばかりだからです。参照するのは親字部分のみ。親字部分なら漢文にも通用するのです。漢文の一字一字について親字部分の説明を見ていくわけです。それなら親字の説明だけにしぼり、熟語を必要最小限のものにしぼった「字典」こそ、漢文から現代中国語までどんな時代の文にも対応する便利な道具になるのです。



  5. 『支那漢』の特徴
     「旧字体」「部首画数順」「字典」の効用についてわかったとして、では『支那漢』のような古めかしい文語体の説明の字典がそんなに便利なんでしょうか。
     実は『支那漢』の説明は文語体ながら独特の味があり、これこそが熱烈な『支那漢』愛好者を生み続けている秘密なのです。たとえば「爪」をいろんな辞典でひいてみましょう。
    1. 新華字典……(1)指甲或趾甲:手爪。(2)鸟兽的脚指:鷹~。[爪牙](喩)党羽,狗腿子。
    2. 新華字典日本語版……(1)つめ「手~」(手の指のつめ) (2)鳥獣の足の指「鷹~」(タカの足) 【爪牙】(喩)悪人の手先。手下
    3. 國語日報字典……(1)手足的甲。(2)動物的腳。如「張牙舞爪」。(3)「爪牙」…[1]鳥獸的腳爪和牙齒・用以自衞示威。譬喩英勇的武臣。[2]譬喩黨羽。
    4. 小学館中日辞典……1動物の爪. 2鳥獣の足 (例文略)
    5. 支那漢……手足の甲なり。禽獸は爪を以て其猛威を助く。故に其足を多く爪と言ふ。「龍爪」「虎爪」の如し。「爪牙」とは護衞の士を謂ふなり。詩經に見ゆ。
     このように、爪は「爪」という原義から「鳥獣の足」のように意味が広がっているのですが、他の辞書ではなぜそうなるのかの説明がありません。これに対して『支那漢』は、「禽獸は爪を以て其猛威を助く。故に」のように、字の意味が原義からさまざまに変化していく様子を熟語を加えながら簡潔に説明していく、独特の味わいがあるのです。実用上も役にたつばかりか読んで勉強になる「現代の訓詁の書」といえるでしょう。「学生字典」というもとの書名どおりです(念のためいいますが、中国語で「学生」といったら小学生以上です。しかも「学生なんたら」というタイトルの本は、ほぼ間違いなく小学生用の本です。だから「学生字典」って、小学生用字典ってことなんですよ)。文語体の説明も漢文的といえ、漢文を読むのにはふさわしいかもしれません。



  6. 『支那漢』が役立つ人、役立たない人
     このような性質から、『支那漢』は次のような人に役立ちます
    • 「英文を読むならやっぱり最終的には英英辞典さ」という人
    • 辞書の訳語に頼らなくていい人、辞書の訳語にこだわらずこなれた訳をしたい人
    • 漢字と中国語の根底の力をつけたい人
    • 旧字体と新字体、繁体字と簡体字の読み替えをわずらわしく感じている人
     逆に、次のような人には『支那漢』はお勧めできません
    • 漢文を訓読のみで読もうとする人
    • 文語体は見るのもイヤだという人
    • 訳語を辞書に頼る人(よく、英文翻訳家は知っている英単語ですら英和辞典でひいて訳語を調べたりします。つまり英語を調べているのではなく日本語を調べているのです。こういう使い方は支那漢にはできません)
    • 熟語、複合語が載っていないとイヤな人
     さて『支那漢』は注文すればいまでも容易に入手可能です。ぜひ注文して購入してください。しかし世の中はコンピュータ全盛、紙の辞書はだんだんCD-ROMやWEBにとってかわられています。『支那漢』もぜひWEB上でもひけるようにしたい、特に『支那漢』は部首と画数からしか引けず、音訓・発音・総画索引といったものは全くなく(部首のわかりにくい字の検字だけはある)、ひきにくいところがあります。そこで音訓・発音・総画索引を付した「WEB支那漢」を作成してみました。